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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)489号 判決 1972年7月25日

原告 矢崎今朝男

右訴訟代理人弁護士 石井嘉夫

右同 稲田寛

右同 中村浩紹

右同 恵古シヨ

被告 森辰次

右訴訟代理人弁護士 高山征治郎

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し別紙物件目録(二)記載の建物を収去して、同目録(一)記載の土地を明渡せ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  別紙物件目録(一)記載の土地(以下本件土地という)はもと訴外熊谷富子の所有であったが、原告は、昭和四五年七月一〇日本件土地を競落することによって所有者となった。

2  被告は本件土地上に別紙物件目録(二)記載の建物(以下本件建物という)を所有して、本件土地を占有している。

よって、原告は被告に対し、所有権に基づき右建物収去土地明渡を求める。

二  請求原因に対する認否

全部認める。

三  抗弁

被告は訴外熊谷富子から、昭和三二年頃、本件土地を建物所有の目的で賃借した。

四  抗弁に対する認否

不知

五  再抗弁

本件土地については昭和四一年五月一〇日受付で訴外井出浅子のため抵当権設定登記がなされ、昭和四三年九月二六日受付で、任意競売申立の登記が経由され、原告は右任意競売に基づき本件土地を競落して、昭和四五年七月三〇日、本件土地の所有権移転登記を経由した。

六  再抗弁に対する認否

すべて認める。

七  再々抗弁

1  建物保護法による対抗

被告は本件建物につき、昭和四五年七月一三日所有権保存登記を経由した。

2  背信的悪意者の主張

かりに1の主張が認められないとしても、

(一) 原告と被告は、昭和三一年頃から豊島区駒込六丁目五九七番地の土地に居住し、ともに訴外熊谷富子から同一地番の土地を借地して隣家として交際して来たものである。

(二) 原告は被告が本件土地を熊谷富子から建物所有の目的をもって賃借していることを承知していながら、被告のため本件建物について所有権保存登記がされていないことに乗じて借地権の存すると同様な低廉な価格で本件土地を競落したものである。

したがって、原告はいわゆる背信的悪意者として、被告の建物保護法一条所定の対抗力の欠缺を主張する正当な利益を有する第三者にあたらない。

3  権利濫用

かりに右1、2の主張が認められないとしても、右2の(一)、(二)に加えて、原告は被告の隣でアパートを経営しており、本件土地を利用する必要性がない。これに反し被告は本件建物を収去されると一家が路頭に迷う恐れがある。したがって原告の本訴請求は権利の濫用である。

八  再々抗弁に対する認否

1  再々抗弁1の事実は認める。

2  同2、3の事実はすべて否認する。

第三証拠≪省略≫

理由

一  請求原因事実については、当事者間に争いがない。

二  借地権の成立について

≪証拠省略≫を総合すると、

(一)  被告は昭和二五年、六年頃から訴外熊谷工務店(経営主熊谷忠雄)の下請とび職人として稼働とするようになったこと、

(二)  昭和三一年頃、被告の右工務店に対する下請代金債権約五〇万円が未払となったことから、右忠雄の勧めで同人の妻熊谷富子所有の本件土地上に同店の資材を用いて被告が本件建物を建築して居住するようになったこと、

(三)  昭和四二年頃、被告は同店に対して運転資金として五〇万円を融資したこと、右融資にあたり被告と同店との間には右五〇万円を返済できない場合は本件建物を被告に与える旨の合意がなされたこと、

(四)  昭和四四年八月二日、右忠雄が死亡したことにより同店は事実上倒産したこと、その当時までに同店の被告に対する未払下請代金は約一七〇万円ほどに達していたこと、

(五)  前記貸金および下請代金は未だ返済されないままであるが、右忠雄の子昭雄は被告に対し本件建物所有権および本件土地賃借権を認めたことにより清算されたものと了解していること、

(六)  昭和四四年一二月三〇日、被告から熊谷富子に対し昭和四四年度一年分の本件土地の地代として六四八〇円の支払がなされていることが認められる。

以上の認定事実によれば、被告は遅くとも昭和四四年一月頃までには本件土地について当時の所有者熊谷富子との間に黙示的にもせよ建物所有を目的とする賃貸借契約が締結されるに至ったものと認めるのが相当である。≪証拠省略≫中には「物件番号三、奥の残余の部分(本件土地を指すこと同書面上明らかである)所有者夫熊谷忠雄材料置場として使用中、賃貸借関係なし」「三、物件については所有者の夫熊谷忠雄及び賃借人矢崎今朝吉の妻矢崎光子の陳述により調査の結果判明したものである」との記載が存するが、同証は書面上明らかなように原告が本件土地を競落取得した任意競売手続中に執行官職務代行者により作成された賃貸借取調報告書にすぎず、しかも≪証拠省略≫によれば熊谷忠雄は同証作成前既に死亡しており、また矢崎光子は原告の妻であるというのであるから、同証中の前記記載部分はたやすく採用できず、また原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠は存しない。

三  再抗弁事実については、当事者間に争いがないので再々抗弁について判断する。

1  建物保護法による対抗力について

再々抗弁1の事実は当事者間に争いがないが、競売申立登記は目的物について処分禁止の効力を生ずるから、競売申立登記後に建物保存登記を経由したこと当事者間に争いがない本件においては、被告は建物保護法第一条に依拠して本件土地賃借権を本件土地の競落人である原告に対抗することはできないというべきである。

よって再々抗弁は理由がない。

2  背信的悪意者について

≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。

(一)  原告と被告とは昭和三二年頃から原告が本件土地を競落した昭和四五年までの間、一三年間の長きにわたり、熊谷富子所有の豊島区駒込六丁目五九七番一宅地一二七・八〇平方メートル(以下本件競落土地という)の同一番地の土地上に隣り合わせに居住し、隣人としての往来を交してきた間柄で、その間原告は被告が前記熊谷工務店から下請けした工事に従事した経験もあること。

(二)  昭和四二年頃、原告と熊谷忠雄との間で本件土地を含む本件競落土地についての売買交渉があり、六〇〇万円より始って四八〇万円の代金で話がまとまりかかったところ、前提である本件土地からの被告の立退きが困難であることが原因で結局契約の成立を見るに至らなかったが、この交渉の過程で原告は、右熊谷から同人が被告より五、六〇万円の借金をしていることを聞知していること。

(三)  原告は本件競落土地を一九五万円で競落したが、当時同土地は更地価格坪当り三〇万円位であり、その総面積は三八・六六坪で、同土地全部に借地権が設定されているとしても十分見合う金額であること。

(四)  原告は競落前本件土地を除くその余の本件競落土地約三〇坪を普通建物所有の目的で熊谷富子より賃借しており、しかも同地上の原告所有家屋は昭和三二年一一月に所有権移転登記を経由しているので、殊更自ら本件競落土地を入手しなくても自己の借地権の維持には支障を来さなかったこと。

(五)  原告の右家屋は、同人が昭和三二年熊谷忠雄から買受けた終戦直後頃建てられ今日まで改築されずに経過した古い建物で、四畳半一四間二階建の共同住宅式家屋であるが本件建物とは屋根を交差し、殆んど隙間もなく接しているため借手も少なく現在は原告ら家族を含めて四世帯が居住しているにすぎず、そのためかねてより原告は本件土地からの被告の立退きを得てこれを利用し、自己所有家屋の増改築をする機会を期していたこと。

(六)  原告はもと警察官であり、本件競落にあたってはいわゆる競売屋からの通報を受け同人に依頼して手続を進めたこと。

(七)  原告は被告に秘して競落により本件土地所有権を取得するや、所有権移転登記の経由に先立ち翌々日被告方に赴いて賃料の受領を拒絶し、引続き内容証明郵便で本件土地の明渡を求め、次いで競落後僅か半年にして本訴に及んだこと。

右認定事実によれば、原告は本件建物について被告が競売申立登記までに所有権保存登記を経由していないため、本件土地賃借権を競落人に対抗でないことを承知し、これに乗じて本件建物収去土地明渡を得て自己所有家屋の増改築をなすべく企図して競落したものと推認するのが相当である。

≪証拠判断省略≫

他方≪証拠省略≫によれば、被告が本件建物について所有権保存登記をなすのが遅れたのは、前記のとおり熊谷工務店に長年勤務し、その経営主である忠雄に深く私淑しており、しかも本件建物建築に至る前述の経緯から、他日被告名義に登記する旨の同人の言を信頼したまま時を経過し、同人の死後その子昭雄からの示唆により漸くなしたためで、その事情は無理からないものと認められる。

以上の認定によれば、原告が被告の本件建物の保存登記の未経由を理由に本件土地賃借権の存在を否定し被告に対し本件建物収去土地明渡を求めることは信義に反するところであって、原告は被告の本件土地の賃借権について建物保護法一条所定の対抗力の欠缺を主張する正当の利益を有しない背信的悪意者にあたると解するのが相当である。よって被告の再々抗弁2の主張は理由がある。

四  結論

してみれば原告の本訴請求はその余の判断を俟つまでもなく理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鈴木潔 裁判官 荒川昂 佐藤武彦)

<以下省略>

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